リコ・グルダはチューリッヒに生まれ、ミュンヘンで3ヶ国語(ドイツ語、日本語、英語)のもとで育つ。5歳で初めてのピアノのレッスンを受け、12歳からは伝説的なドイツの巨匠、ルートヴィッ

ヒ・ホフマン、その後、ウィーン国立音楽大学でノエル・フローレスの指導を受ける。その他、ディミトリ・バシュキロフ、オレグ・マイゼンベルグのマイスターコース、そして父フリードリッヒ・グルダによる指導は、彼の修業を完全なものに仕上げている。

 

ソリスト、室内楽奏者として、そしてベルギー管弦楽団、ミラノ交響楽団、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団、ウィーン室内管弦楽団、リンツ・ブルックナー管弦楽団、ブレーゲンツカメラータ“、バーデン交響楽団、ブルノ・チェコフィルハーモニー管弦楽団、そしてマルティーヌフィルハーモニー管弦楽団との共演で、ミュンヘンピアノの夏“音楽祭、ルールピアノ音楽祭“、ブレーゲンツの春、ボーフムの春、ウィーン祝祭週間、ルートヴィヒスブルグ王宮音楽祭、クラングボーゲン“ウィーンに出演。これらの成功によって彼は、ヨーロッパを横断し、USA、東アジアにまで渡ることとなる。

 

ウィーン楽友協会、大ホール出場、彼の父主催の

Concertino for Players and Singers“(リンツ)、ザルツブルグの大祝祭劇場でのモーツアルテウム“管弦楽団ニューイヤーコンサート出演、そしてついにはウィーンフィルハーモニー管弦楽団との初舞台、これらによって彼は若手ピアニストとしての輝かしい経歴上、最初の頂点に達したと言えるだろう。

 

いくつかのラジオやテレビ放送の為の作品製作の後、1997年にグラモラから、シューベルトの作品だけに専念した彼のファーストアルバムが発売された。それに続き1999年には、批評家から絶賛される事となるシューマンの交響的練習曲“と子供の情景“が収録されたCD、そしてあまりにも早くこの世を去ったミヒャエル・バドゥラとのピアノ・ドゥオ・リサイタルの実況録音が発売された。その後、ナクソスからのCDにシューマンの子供のためのアルバム“Op.68を録音、更に今、新たに2枚のCDの収録が予定されている。

 

彼の広範囲に渡る興味は、彼をコンサート舞台から離れた、同種の領域(文化的、精神的な)へも導く結果となった:

 

モーツアルテウム(ザルツブルグ)の主任教授、ペーター・ラングのアシスタントを勤め、シューベルト・コンセルバトリウム(ウィーン)では数年間に渡り自分自身のクラスを持っていた。韓国のソウルでは、ハンセイ大学で半年間、客員教授として授業を行った。それに加えて、ウィーン(ベーゼンドルファー)、韓国(キン・ソン大学)、日本(名古屋芸術大学、大阪ベーゼンドルファー)のマイスターコースで、指導している。

 

彼は数多くのCDを手掛けてきた製作者でもあり、楽器とマイクの向こう側の世界、組織的、商業的な環境や録音風景をも、舞台の上のように熟知している。

エミークラシックから発売されたフェルハン&フェルザン・エンダーの演奏によるビバルディ・レフレクションス“(2台ピアノの為に編曲されたビバルディ作曲の四季“そしてベートーヴェン研究家でありブラームスの友人でもあったグスタフ・ノッテボームの華麗なバッハ変奏曲“収録)はクラシックチャートのベストセラーとなった。

 

この2001年秋の製作品の為に研究を掘り下げていった結果、彼はグスタフ・ノッテボームの作品と徹底的に取り組む事となり、博士号請求論文のテーマとしても、これらの研究を取り扱っている。彼の音楽学研究はウィーン市から研究奨学金の支援を受けている。